自分で選べる事さえ 楽しめると思えた 今の気持ち忘れたくないから

ハリポタファン、最終巻読み終えて喪失感
自身も読後に胸が詰まったというパデュー大学の専門家は、「人々はキャラクターや物語に愛着を持っている」と述べた。
大好きな物語に、キャラクターに愛着(というかむしろたぶん情)を持つのは普通の事だと思っていたけれど、もしかして違うのかしら。

昨日の失業認定も無事クリアしまして今日は瀬名とおデート。
冷製パスタの旨かりしことよ。裏メニューとか素晴らしすぎる。なんかこれ単品で無いんですか?って訊いたら出てきた。そんなところにフラグが隠れていたとは思いもよらなかった!笑
あとタリーズのマフィンとチーズケーキが旨かった。これに関してはスタバよりも全然上だと思った。

あとなんか
「あッそういえば渡す物があるの忘れてた…!」
とかゆってゲゲゲなカップラーメンを差し出されました。
おおおおおまえら!何してんだバカ!見つけたらあげたくなったとかそんな
そんなおまえらがあたいも大好きなんだぜありがとう。
今週のテレビガイドも取っておくべきですか?(私信)

最近確実に食い過ぎている。食い過ぎている。(2回言う)
ていうか今年久しぶりに夏らしい夏の暑さを嫌と言うほど体感しているのに(ずっと冷房の効いた部屋に居たから)全くこれっぽっちの夏ばてとか食欲減衰とかしないとか、どうゆうことだ。トンカツだってもりもり食えちゃうんだぜ。
そもそも食事の量をお兄ちゃんに合わせるとかどうかとおもうんだよ、お母さん。なんで蕎麦とトンカツが同時に出るんだよ?

きんきの39アルバムがちょっと気になってます。
過去・現在・未来を空間的認知を持って考えたとき、我々は常に後ろ向きに歩いていて、だから過去に歩んできた道を見る事は出来るけれど、進む先であるところの未来を見ることは出来ない。とゆうような話を聞いた事がありますが(そして話題にした覚えもあるんだが)、しかし過去が見える・知っているとしても、認知できるのは道という結果であり過程ではない気がします。勿論その道はその人の過程であると言えるけれども、そうではなくて、もっと細かい一歩一歩の単位で考えたときにそれはやっぱり結果でしかないのかな、と。
概念的というか感覚的に言えばそう言う事なのですが、平たく言うと、このぐーたら生活を初めて早3ヶ月が経過した今日この頃、半年前の事を考えたら「私もしかして相当思い詰めてたのか」ということと「だがしかし何であんなに思い詰めていたのかさっぱり分からん」ということに気付いたということです…笑。
うんそんだけ。

comments

きりゅ | 2007/08/01 11:15 PM
>涼
ならばくれるというものを拒む理由などなく、笑
WOTAKU文化自体は流れていってるみたいだけどパロはどうだろうね。まぁ寿司が海外で面白い事になっているように形を変えて存在しているのかも。つーかでもそもそも漫画描く技術が日本のように当たり前には存在していないのでは?
| 2007/07/30 11:20 PM
レンタルに限定版なかったらそこんとこだけ送るよー。私的にCM集が懐かしくて楽しかったなぁ。いま脳内Kinkiさん祭でス。

そういえば欧米圏って日本の同人みたいな文化はあるのかしら・・・。
きりゅ | 2007/07/29 10:10 PM
>涼
逆に言えば、前者の人にこそヲタの素質があるのかもしれん(笑)(二次創作する人に関しては)

39ありがとう、でも大丈夫。気になるのは買うか否かの問題で、買わない結論ならそれはそれでレンタルしてくるので。メジャーな人だと入手しやすくて良いよね…(伏し目)
| 2007/07/28 04:22 AM
トールキンの指輪物語ファンは喪失感を行動力に換えて今も続々とあの世界を増殖させているよ・・・すげーすげー。
キャラクターに感情移入して世界を見上げて読むタイプと、神様のように上から読んでいくタイプがいるね。ヲタは前者です。年齢が上がると、後者になりやすいのかな。あ、前者でないとティーンズノベルは読めない(笑)

39、むっちゃよかったよ。送る?私も借り物だけど。あーうちらこういう時代生きてきたって感じがする。

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